金武ダムとヤマクモー広場で発見!沖縄を知る4つの遺構とは?

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みなさんは沖縄県の金武町(きんちょう)をご存知でしょうか?

金武町は国頭郡に属する沖縄県北部の町で、特産品のターンム(田芋)やタコライス発祥の地として有名です。

今回は有名な食べ物についてではなく、沖縄の近代史に関わる観光スポットの紹介です。

実は、私はもともとこのような場所があることを知らず、金武ダムを訪れた際にたまたま発見したのでした。
調べてみると、沖縄のさまざまな歴史に関わる遺跡や遺構がダム周辺に複数あるそうです。

私が訪れた際、ほとんど人がいませんでした。なので歴史好きの方でもご存知ではない方が多いのではないでしょうか。
そんな方にぜひ知ってほしい場所です。

さっそく細かく見ていきましょう。

金武ダム・ヤマクモー広場とは?沖縄のどこにある?

金武ダムは、金武町の東側、宜野座村寄りの場所に位置します。
金武町の市街地からは少し離れた場所です。

金武ダム周辺にはいくつかの公園や原っぱがありますが、その中でもヤマクモー広場と呼ばれる場所に、歴史に関する複数の案内板が建てられています。

金武ダム・ヤマクモー広場に関する基本的な情報は、こちら(当記事下部)にまとめているのでご確認ください。

金武ダムとその歴史

沖縄県には全部で15ものダムが存在しています。そのうちの一つである金武ダムは、国土交通省による施工・管理が行われている国管理ダムです。

ダムと一言で言っても、型式(特定の構造やかたちによる分類)や利用目的はダムによって異なっているそうです。

沖縄総合事務局北部ダム統合管理事務所によれば、

  金武ダムは、沖縄東部河川総合開発事業の一環として、米国陸軍工兵隊が昭和36年に建設した利水専用の金武ダムを洪水調節、流水の正常な機能の維持、水道用水及びかんがい用水の供給を目的に億首川(流域面積16.4km²、流路延長8.0km)の河口から約3km上流地点に建設した高さ39.0mの台形CSGダムです。

  世界初の台形CSGダムとして、平成21年3月に本体工事に着手し、平成22年9月にはコンクリートの初打設を行い、平成23年9月にコンクリートの打設を完了、平成26年4月より管理を開始しました。

引用元:金武ダム | やんばるのダム-内閣府沖縄総合事務局 北部ダム管理事務所-

「台形CSG」というのが金武ダムの一番の特徴で、台形に形成されたCSG(砂利とセメントと水を固めて作ったもの)の表面をコンクリートで固めて作られた新しいタイプのダムだそう。

引用元を見て初めて知ったのですが、金武ダムのおおもとは米軍によって作られていたとは驚きです。
そして目的も新たに、以前の約10倍もの貯水容量を持つダムに生まれ変わりました。

私が訪れた時、台風の通過後で貯水量が多かったためか、放水の様子を運よく見ることができました。

金武ダム

ダムから放たれた水は、億首川から海へと流れていきます。

この写真を撮っている場所が、ヤマクモー広場という名前の広場になります。
駐車場完備、きれいなトイレもあります。

ちなみにダムの上、橋部分は車で通ることができ、周辺を車でぐるっと回ることができます。もちろんゆっくり歩きながらダム湖を見ることも可能です。

金武ダム周辺の歴史的遺構

ダムの成り立ちがわかったところで、金武ダム周辺に残る歴史的スポットを4つ、ご紹介します。

宿道(すくみち)「国頭方東海道」の一部

まずは沖縄の「交通」と「道」に関わる遺構です。

ヤマクモー広場はダムに近い部分からなだらかな丘になっており、ここには琉球王国時代の宿道(すくみち)跡があります。

宿道とは、当時の首里王府と沖縄本島内の各地を結ぶ幹線道路を指します。
単なる道路というだけでなく、各地域(間切と呼ばれるものです)を結ぶ大切な役割がありました。

沖縄本島のほぼ全てを網羅した宿道は6つのルートに分かれており、金武町はそのうちの一つである「国頭方東海道」の経由地です。

その他のルートも含めた詳しい説明は、こちらをご覧ください。

広場内の案内板に詳しい説明がありました。下記に引用します。

王府時代の宿道は、首里を起点に整備された沖縄本島各地への幹線道路で、金武にはそのひとつ国頭方東海道が通っていました。明治14(1881)年、県内各地を視察した県令上杉茂憲の記録には「坂アリ螺旋シテ下ル」(坂があり、らせん状に下っていく)と、この場所を記しています。

平成20年、ダム建設に伴う発掘調査が行われ、その調査記録をもとに再現されました。

引用元:ヤマクモー広場内の案内板
宿道

撮影した写真に写っている階段状の道が、当時の道を再現したものです。発掘調査の際、上杉茂憲の書き残した記録通りの道路遺構が確認されているとのこと。

あくまでも一部分が残っているのみですが、昔の人がこの道を通って沖縄本島北部と首里を行き来していたのだと感じることができます。

坂の全体図
らせん状に下っていく坂の様子がわかります

大正時代の村道跡

さらに、宿道を下りきったあたりには大正時代に整備された村道跡も見つかっています。

宿道は琉球王国時代からあった道なので、こちらの村道はそれよりも新しいもののようですが、「村道跡」ということで現在は残っていません。

宿道と村道跡、こちらの二つの遺構は、異なる時代に利用された道路とその変遷をうかがい知ることのできる場所だと言えるでしょう。

旧億首橋の遺構

先ほど、放水された水は億首川という川に流れていくと書きました。

宿道をくだり、億首川にちょうど合流するあたりの場所に、壊れた橋の遺構があります。これは以前「億首橋」と呼ばれていたコンクリート造りのアーチ橋です。

上部分に草が生い茂っているので分かりにくいかもしれませんが、川の対岸にアーチ橋の一部が残っていることが確認できます。

旧億首橋

ヤマクモー広場の案内板に以下のように書かれており、以前の姿の億首橋の写真も掲示されていました。

川の両岸が最も近いこの場所は「ウククビ(奥首)」と呼ばれ、宿道の時代から川を渡るポイントでした。

昭和6(1931)年にかけられたこの橋は、コンクリート造りの新しい建築技術でありながら、それまでの石橋の特徴も併せもっています。

沖縄戦で米軍侵攻をおそれた旧日本軍の指示により爆破され、川底には破壊された橋の一部がいまも残っています。

引用元:ヤマクモー広場内の案内板

伝統的な石造りのアーチ橋の特徴も併せ持っており、昭和の貴重な建築物であった旧億首橋。

しかしながら現代に生きる私たちに悲しい歴史を伝えるものとして、今も川岸に佇んでいます。

旧億首橋 拡大図

その他の遺構:億首川上流域の遺跡

旧金武ダムの貯水域周辺に遺跡があったことが、金武ダムの再開発事業の際に確認されました。

ダムの貯水域ということなので、先ほどご紹介した億首川の上流域に位置します。

この場所には耕地跡や石積みの形跡、炭焼窯跡などが残っており、ここが人々の生活の場であったことを示しています。

詳細は金武町の埋蔵文化財の調査報告書にまとめられています。

最後に:歴史の変遷を感じながら、北部の自然を楽しんでみては?

なんとなく立ち寄った場所でしたが、さまざまな時代の歴史を感じられるスポットでした。

今現在、当時の姿を残すものはほとんどありません。しかし、複数の生活に関係する遺構があるということは、以前からその地の人々によって大切な場所であったということではないでしょうか。

現在の金武ダム周辺はとても整備されており、緑が多く気持ちいい空間が広がっています。

ドライブの途中で立ち寄ったり、ピクニックやジョギング、散歩にもおすすめです。

この記事を書きながらダムのことや歴史についていろいろと調べていると、ダムの近くには資料館があるそうです。

以前はヤマクモー広場の散策が中心でダム湖付近には行かなかったので、まだ訪れることができていません。今度機会があったら資料館も訪れたいと思います。

金武ダム資料館で見ることのできるもの

資料館ではダム事業の詳しい説明のほか発掘調査の際に見つかった埋蔵文化財の展示などが行われているようです。

平常時には予約制で見学案内が受けられたそうです(当面の間受け入れ停止とのこと)。

金武ダム・ヤマクモー広場の基本情報

所在地沖縄県国頭郡金武町字金武9959
営業時間24時間
料金無料
定休日なし
アクセス方法
所要時間
那覇空港から車で約1時間(高速道路利用)
那覇バスターミナルより77番(名護バスターミナル行き)のバスで約2時間、銀原バス停にて下車後、徒歩約10分
その他駐車場あり、トイレあり

ダムや広場の敷地はとても広大なので、車での移動が便利です。

駐車場は、ヤマクモー広場の近くだけでなく、ダム湖の近くにもあります。

金武ダム資料館の基本情報

所在地沖縄県国頭郡金武町字金武9959
営業時間9:00~17:00
料金無料
定休日なし
TEL0980-52-3872(北部ダム統合管理事務所 金武ダム管理支所)
アクセス方法
所要時間
那覇空港から車で約1時間(高速道路利用)
那覇バスターミナルより77番(名護バスターミナル行き)のバスで約2時間、銀原バス停にて下車後、徒歩約10分
その他駐車場あり、トイレあり
特記事項当面の間、見学受け入れを見合わせています。

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